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最高裁判所第三小法廷 平成4年(行ツ)142号 判決 1992年12月15日

イギリス国イングランド、ハートフォードシャー、

ウエリン・ガーデン・シティ、マンデルス

上告人

スミス・クライン・アンド・フレンチ・ラボラトリース・リミテッド

右代表者

フィリップ・グリン・ハウス

右訴訟代理人弁護士

久保田穰

増井和夫

東京都千代田区霞が関三丁目四番三号

被上告人

特許庁長官 麻生渡

右当事者間の東京高等裁判所平成二年(行ケ)第二三六号審決取消請求事件について、同裁判所が平成四年二月四日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

"

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人久保田穰、同増井和夫の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤庄市郎 裁判官 坂上壽夫 裁判官 貞家克己 裁判官 園部逸夫 裁判官 可部恒雄)

(平成四年(行ツ)第一四二号 上告人 スミス・クライン・アンド・フレンチ・ラホラトリース・リミテッド)

上告代理人久保田穰、同増井和夫の上告理由

第一、上告理由第一点

原判決は特許法第二九条第一項第三号の解釈を誤ったものである。

一、特許法第二九条第一項第三号は

「特許出願前に日本国内又は外国において頒布された刊行物に記載された発明」

とあり、同項本文により、このような発明は特許を受けられないことになっている。

原審における審理の対象となった特許庁の審決は、本願発明は、その出願前に日本国内で頒布された刊行物である昭和四八年特許出願第一〇〇一二五号の公開公報(特開昭四九-七五五七四号、原審甲第三号証。以下「引用例」という)に記載された発明であるとして出願を拒絶した審査官による拒絶理由を支持したものである(原審甲第一号証)。上告人がその取消を求めて訴えたところ、原審判決は審決を支持して請求を棄却した。

二、原判決に記載されているが、改めて事実関係及び判決の要旨を述べると次の通りである。

(一)、本願発明の要旨は、出願明細書特許請求の範囲に記載されているように、

「一四〇〇及び一三八五cm-1に、非常に強い、広いピーク、一二〇五cm-1に中程度の鋭いピークを有し、かつ、一一八〇cm-1にピークのない赤外スペクトル(一パーセントKBrジスク)を有する、結晶学上、実質的に純粋なN-メチル-N'-シアノ-N'-〔2-((5-メチル-4-イミダゾリル)メチルチオ)エチル〕グアニジンの多形体(サイメチジンA)及び医薬上許容される担体又は希釈剤からなることを特徴とするヒスタミンH2-受容体拮抗剤医薬組成物」である。

N-メチル-N'-シアノ-N'-〔2-((5-メチル-4-イミダゾリル)メチルチオ)エチル〕グアニジンとは次の構造を有する化合物であり(化合物名の書き方には何通りかある)、医薬としての一般名を「シメチジン」と呼ばれるものである。

<省略>

「シメチジン」の原語はcimetidineであり、英国人は「ci」を「サイ」と発音するので、本願明細書の作成者は「サイメチジン」と表記しているが、その後薬事法施行規則別表第一の二の六の一六六(平成四年五月現在)に「一-シアノ-二-メチル-三-〔二-[〔(五-メチル-四-イミダゾリル)メチル〕チオ〕エチル〕グアニジン(別名シメチジン)」という指定があり(この化合物名の書き方は本件特許における表現と違うが、同じ物である)、今では「シメチジン」という言葉の下に現実に薬剤が販売、使用されているので、以下引用文を除いて、それによる。

特許の対象はシメチジンの多形体(幾つかの結晶形のあるものを「結晶多形」と言い、ここの「多形体」とはそのうちの一つの結晶形を意味している。しかし「多形体」というと、多形構造を指すように思われ、多形のうちの一つの形だという感じが出ないから、以下結晶形の一つを指すものとしてこの言葉は用いない)を有効成分とする医薬組成物、即ち製剤(普通に用いられる医薬品)である。

これに対し、引用例はシメチジンを含む広範囲の化合物の製造方法に関するものであり、目的物は<省略>で表わされている(一見前記のシメチジンの構造と似ても似つかないようであるが、R2を<省略>とし、R1CH3とすればシメチジンになる)。

シメチジンは上告人によって発見された胃潰瘍、十二指腸潰瘍に卓効ある医薬であり、胃潰瘍の手術の必要性を激減させた(中公新書、山崎幹夫著「薬の話」第一章参照)。上告人により「タガメット」という商品名で発売され、多くの人命を救った。世界に於けるその売上高は薬品として長らく第一であった(最近でこそ首位は他の医薬に譲ったが、依然としてよく用いられている)。

(二)、本願発明は、シメチジンの実際の利用につき研究する過程において、シメチジンが、結晶生成条件により幾つかの異なる結晶形をとることを見出し、かつ、その中で、本願発明において特定したA形の結晶が、シメチジンを医薬品として使用する場合に特に優れた性質を有することを見出したことにより成立したものである。

本願明細書にはシメチジンの結晶形は少なくとも三つあると記載されているが〔甲第二号証出願公告公報(以下「公報」という。)第三欄第二五行、第二六行〕、このA形ないしC形の外、出願後には少くとももう一つ(D形、或いはZ形ともいう。)あるいは更に多い結晶形が存在するらしいことが判明している。

甲第四号証及び第五号証の写真から分るように、A形は粒状(角柱あるいは直方体)の比較的きれいな結晶である。B形は一つ一つが糸状の結晶で、集合体としては綿状になる。このため、A形は溶剤から分離し易く、B形はなかなか溶剤と分離しない。したがって、錠剤にするとき、A形は細粒化し易く、B形はそれがしにくい。また、A形の粉末はさらさらしていて製剤中の工程間で移動させることが容易であるが、B形は砕いてもなお凝集するので、それが難しい。更に、A形はコンパクトであって、同じ重量でもかさばらないので、小型で服用し易い錠剤にすることができる。また、A形は水に対する溶解性が高いので、服用した場合、血中濃度が速やかに高まり、効き目が速いという効果がある。

C形にはB形とほぼ同様の難点がある。

以上の観点から、原告は、A形のシメチジンのみを作って使用するのがシメチジンの製剤化に最適であることを見出し、かつ純粋なA形結晶を得るための結晶化条件を検討して本願発明を完成したものである。

(三)、審決は、本願発明と引用例記載の発明のシメチジン結晶取得方法の異同について検討し、用いる再結晶溶媒については変わりはなく、また、引用例記載の発明の晶出操作は、引用例に記載がないので、慣用の晶出操作によるものであるところ、本願発明の晶出操作も慣用の晶出操作にほかならないから、晶出操作、即ち結晶取得方法においても両者は異なるところがないとし、従って、本願発明で用いるシメチジンの結晶が引用例記載のものと異なると言うことはできないので、本願発明は引用例記載の発明と同一であるとし、原査定の拒絶理由により(即ち、特許法第二九条第一項第三号に該当するものとして)、拒絶すべきであるとした(原判決一八丁表最終行乃至同丁裏最終行記載の原審による審決の要約は完全に正確でないので、表現を改めた)。

(四)、これに対し、上告人は、慣用の晶出操作は本願発明の晶出操作以外にもあるから、本願発明の晶出操作を引用例記載の発明の晶出操作と異なるところがないと言うことはできず、従って又、論理上、本願発明で用いるシメチジンが引用例で得られたものと異なるところがないと言える筈がないと主張した〔原審平成二年一一月二七日付準備書面(以下第一準備書面という)二三頁一行乃至二五頁三行〕。なお本願発明が引用例と「同一発明」だというのは、両発明の対象がその態様に於て違うのだから(化合物の製造方法に対する医薬組成物)、初めからおかしいと指摘した(第一準備書面三頁最終行乃至四頁五行、五頁四~七行)。

なお原審の審理過程に於ける被告(被上告人)の準備書面に答えて、上告人は、特許法第二九条第一項第三号の刊行物に記載された発明とは、当該出願発明の構成要素である目的、構成及び効果のすべてがそこに記載されていた場合であるところ、引用例の頒布された当時、シメチジンのA形結晶の存在自体わかっていなかったのであるから、引用例にA形結晶を製剤の原料とすることがよいという本願発明の目的も構成も効果も記載されていたなどあり得ないと主張した(第二準備書面八頁七行以下)。

(五)、原判決は原告(上告人)の原審に於ける主張に対し、次のように言う。

「引用例には、再結晶溶媒(これは本願発明の溶媒と同一のものである。)の開示はあるが、晶出操作は具体的に記載されておらず、また、得られるサイメチジンの結晶の形態についての記載はない。

しかし、当業者は、引用例記載の発明を実施するについて、慣用の晶出操作を行うものであり、本願発明の晶出操作は、慣用の晶出操作の一つであるから、引用例記載の発明においてA形のサイメチジンAが得られていたことは否定することはできない。

勿論、慣用の晶出操作はいくつもあるものであるから、引用例記載の発明において得られたサイメチジンが全てA形であったということはできないが、少なくとも本願の晶出操作を採用すればA形のサイメチジンは得られていたものであり、また、先願発明を実施するにつき本願発明の晶出操作を採ることを困難ならしめる事情は窺われず、ただ、その場合、引用例記載の発明者に、得られたサイメチジンの結晶がA形のものであることの認識はなかったというにすぎないものである。」(一九丁表終りから四行乃至二〇丁表三行)。

そして、引用例に於ても本願発明のような撹拌を行っていないとすることはできないと述べた(二〇丁表四行乃至同丁裏四行)後、

「したがって、当業者であれば、引用例を見ることにより、特別の思考を要することなく、慣用の晶出操作を実施することによりA形のサイメチジンを得ることができ、引用例に開示されたサイメチジンに本願発明と同一のA形のサイメチジンを含むことを理解しえたものである。

以上によれば、本願発明は先願発明と同一であって、引用例、すなわち本件出願前に日本国内において頒布された刊行物に記載されていた発明であるというべきである。」と結論している(二〇丁裏五行乃至二一丁表一行)。

しかし、かかる結論は幾つもの誤りを含んでいる。

三、さきに述べたように、審決は特許法第二九条第一項第三号によって本願を拒絶した査定を支持し、原判決は、この審決を争った上告人の請求を棄却したのであるから、本件に於ける争点は、本願発明が特許法第二九条第一項第三号に該当するか否か、即ち本願の出願前に日本国内において頒布された刊行物である引用例に記載されていたか否かである。

ところで、既に上告人が原審で述べたように、そもそも結晶多形についての意識がなかった引用例に、製剤原料としてA形の結晶を用いるのが良いという本願発明の発明思想が記載されていた筈がない(この点は原審裁判所といえども争わないであろう)。

それにも拘らず、原審判決が本願発明が引用例に記載されていると認定したのは、「同一発明」という概念を用い、それを架け橋として、引用例に記載されている発明は本願発明と同一である、従って、引用例にそういう発明(同一発明)が記載されていることは、ひいては本願発明が記載されていることになると判断したのである(二〇丁裏終りから二行乃至二一丁表一行の結論はそういう趣旨である)。

なるほど、もし引用例記載の発明が本願発明と「同一」であれば、同一の発明が記載されていることは、本願発明が記載されていることになると言ってよいかも知れない(その場合でも、もし真に「同一」であるならば、そのように廻りくどいことを言わず、端的に、本願発明が引用例に記載されていると言えばよいと思うが)。

それでは引用例記載の発明と本願発明は「同一発明」であろうか。

上告人には到底そうだとは思われない。上告人も、二つの文献の記載が、言葉、或いは文章の相違にも拘らず、実質的に同一のことを語っているのであればその間に同一性を認めることは吝かでない。又、双方の記述したものの範囲が若干喰違っていたとしても、同一の範囲であるとされることもあり得るであろう。

しかし、本件に於て原判決の言う「同一発明」なるものが右のような場合とは全く異なった意味に使われていることは明らかである。何故なら、引用例には結晶多形のことなど一言も書いていないのに対し、本願明細書は、シメチジンの結晶には幾つかの形のあることを記述し、その中のA形結晶の特徴を挙げ、A形が製剤原料として適当である所以を説明し、特許請求の範囲にはA形結晶を特定する指標として赤外スペクトルのピークの位置を示し(勿論、引用例は赤外スペクトルには全く言及していない)、それを有効成分とする医薬組成物を対象としているのだからである。

この両者が、言葉の通常の意味に於て「同一」である筈がない。

四、それでは原判決の言う「同一発明」とは何であろうか。

原判決の言うことは、引用例の記載を実施すれば、A形のシメチジンが得られるということである。即ち、「引用例記載の発明においてA形のサイメチジンが得られていたことは否定することはできない」と言う(一九丁裏三~五行)。

この認定はそれ自体行き過ぎであり、証拠に基いていない。引用例の記載、特にその実施例中、A形結晶が得られたなどとは書いてないからである。

被上告人が原審に於て提出した乙第一号証乃至第三号証の実験報告書にはそのような記載があるが、上告人側はその内容の信憑性を争い、甲第七号証実験報告書を提出している。何れにしろ、審決ではこれら実験報告書は採上げなかったのであるから、審決取消訴訟である原審に於て参酌されるべきものではなく、原判決も流石に言及していないのであるから、右の原判決の判断は証拠に基くものではない。

上告人は、引用例記載の方法を実施した場合、A形結晶が得られる可能性のあることは否定しない。しかしA形のシメチジンが「得られていた」という原判決の認定には何の根拠もない。現に何種類かの結晶形があるのであるから、当然にA形結晶が得られる筈はなく、しかも実施例を追試した甲第七号証の大学教授は、何れの実施例によっても、本願発明に言う実質的に純粋なA形結晶の得られることを否定している。仮に乙第一乃至第三号証を信用し(上告人は否定するが)、条件によっては得られるとしても、実際に引用例の発明に於て得られていたかどうかは、実施例の実験者に聞かなければわからないことである(いや、恐らく聞いてもわからないであろう。当時結晶多形の認識はなかったのであるから、実験者がA形か否かに注意して、自らの得た生成物が何れの結晶であるかを確認できるデータをとり、かつそれを保存してはいなかったであろうから)。

しかし、仮に引用例の発明に於て、事実としてA形結晶が得られたとしてどうなるのであろうか。

本願明細書を読む前の当業者は、結晶多形の意識がないのであるから、引用例に於て得られたものが本願発明にいうA形結晶であるとの認識などしなかったにきまっている。

原判決は、「当業者であれば、引用例を見ることにより、特別の思考を要することなく、慣用の晶出操作を実施することによりA形のサイメチジンを得ることができ、引用例に開示されたサイメチジンに本願発明と同一のA形のサイメチジンを含むことを理解しえたものである」と言うが(二〇丁裏五~九行)、判断の誤り、論理の飛躍も甚だしい。

引用例の頒布された時はシメチジンの結晶多形のことは知られていなかったのである。結晶多形は往々見られる現象ではあるが、勿論、圧倒的に一つの化合物の結晶形は一つであることが普通である。そして化合物の構造式を見ただけで、それが幾つもの結晶形を有するかどうかなど分かる由もない。ましてその複数の結晶形の一つであるA形の結晶がどんな性質のものであるか、その赤外スペクトルがどんなものであるかなど分る筈がない。だから、如何なる当業者であれ、引用例を見ただけでは、どのように思考をこらしたところで、引用例を実施すれば「A形のサイメチジンを得ること」ができるとか、引用例に開示されたものの中に「本願発明と同一の―赤外スペクトルのどこどこにピークを有する―A形のサイメチジン」が含まれているとかを「理解しえた」筈がない。そういうことは、すべて本願発明により、ある種の溶媒中で、或る種の晶出操作を用いれば(特定はしているが、甚だしく特殊なものではなく、引用例の範囲の中に含まれる)、A形のシメチジンが得られることが知らされてからのことである。つまり、原判決のこの見解は、典型的な後知恵であり、因果の関係を顛倒させたものである。

五、発明とは技術的思想の創作である(特許法第二条)。たまたま偶然に、或るチャンスを以て同じ物(A形結晶)が得られることがあるとしても、その物の存在を明確に認識し、その物の性質を調べ、薬剤として用いることの利点を知り、確実にその物を得る方法を開示し、その物を赤外スペクトルにより特定し、医薬組成物とすることを対象とした本願発明と、その物(A形結晶)の存在の可能性すら記述されず、その存在も性質も読み取りようもない引用例記載の発明とが同一発明(同一技術的思想)だというのは、概念を弄んでいるものと言うべきであろう。

そして、法律に根拠がなく、自らの発想になる「同一発明」の概念―「同一」なる言葉の通常の意味とは全く異なるもの―を架け橋として、本願発明が引用例に記載されているとしたのは、特許法第二九条第一項第三号の解釈を誤ったものである。同号の規定は「特許出願前に日本国内又は外国に於て頒布された刊行物に記載された発明」というものである。通常人の常識から見て、或る特有の赤外スペクトルを有するA形の結晶が製剤によいなどということが、引用例に「記載」されていた筈はないのである。そして、「記載」されていなければ、同号適用の余地はなく、同号によって本願を拒絶した査定とそれを支持した審決は誤っていたのであって、取消すべきである。それが法律解釈の筋道であろう。

第二、上告理由第二点

原判決は審決の理解を誤って、取消訴訟の審理の対象を間違えた違法がある。

さきに要約したように、審決は本願発明の晶出操作(結晶取得方法)は引用例のそれと「異なるところはない」、だから得られた結晶も同じだと判断したのである。しかし、引用例は晶出操作を特定せず、本願発明は特定しているのだから(特許請求の範囲、即ち発明の対象としては特定していないが、審決は発明の詳細な説明に記載されたところを問題にしており、その中では特定していることに争いはない)、両者が同じである筈はない。原審準備書面でも指摘したが、これは哺乳動物も犬も同じだと言うのとひとしい。

上告人がこの点を指摘したのに対し、原判決は、

「審決は、本願発明と引用例記載の発明とが同一である理由として、本願発明の晶出操作と引用例記載の発明の晶出操作とが同一であるから結晶取得方法が同一であり、したがって得られたサイメチジンの結晶形態も同一であることを挙げている。

この説示の意味するところは、引用例記載の発明の晶出操作、したがってまた結晶取得方法が本願発明のそれらと完全に一致するというものではなく、引用例記載の発明の晶出操作は本願発明の晶出操作を含み、したがってまた、引用例記載の発明の結晶取得方法は本願発明の結晶取得方法を含むものであるから、引用例記載の発明を実施することによりA形サイメチジンも得られていたというものであることは明らかである。そして、このことは、当裁判所が説示したところと同趣旨のものであるから、審決のこの理由を誤りとすることはできない。

したがって、審決の認定、判断は正当であり、審決に原告主張の違法はない。」

と述べている(二二丁表三行乃至同丁裏終りから四行)。

しかし、引用例記載の発明の晶出操作が本願発明の晶出操作を「含む」などとは審決は述べていない。「同一」であると述べているのである。「同一」の操作であれば、それによる結果も同じであることは当然であるが、「含む」のであれば一致しない範囲のあることは自明であり、一致しない晶出操作によれば得られた結晶が異り得ることもまた明らかである。

原判決は、自己の見解によって、或るものと、それをたまたま含むものとは同一だとした。その見解の誤りであることは前述したが、少くとも、そういう見解をとる場合は、何故、含むものは含まれるものと同一であるかという理由付けを必要とする筈である(そしてそれは法解釈論であり、最高裁判所によって是認されれば判例になる)。しかし、初めから同一であると認めれば、その事実認識が正しいかどうかはともかく、同一のものが同一であることの理由付けは必要でない。

審決取消訴訟は自ら出願発明の特許性を判断する場ではなく、審決の当否を判断する場であるから、審決の認定が誤っていたならば、結果として出願を拒絶すべきか否かに拘らず、これを取消し、改めて特許庁に考えさせなければならない。原判決の判断の如く、同一と説示したことは含まれることを意味するということが、誰にも明らかであると上告人は考えない。例えばイングランドは連合王国と異らないとの言は、イングランドは連合王国に含まれることを意味するから正しいとは言えない。

このような審決を、その真意は自ら考えるところに合致するのだと解して支持したのは、審決取消訴訟として審理の対象を誤り、取消すべき審決を取消さなかったものである。

第三、上告理由第三点

原判決は発明として態様の異るものを同一視し、法律の適用を誤った違法がある。

原判決は引用例によりA形シメチジンが得られたという。それが正しいかどうかは別として、本願発明の対象はA形シメチジンを得る製造方法ではない。A形シメチジンを構成要素とする医薬組成物(物)である。

特許法は、全体を通じて、発明の対象として物と方法とを区別している。だから物を対象とする発明と方法を対象とする発明とが同一発明であり得る筈がない。

従って、当業者は引用例からしてA形シメチジンが得られることを理解するとの原判決の認定が仮に正しいとしても、その事実のみを以て、引用例記載の発明の本願発明も同一発明であり、本願発明は引用例に記載されているとすることはできない。もし本願を拒絶すべきものと判断するとしても、右の如き事実の認定に続いて特許法第二九条第二項の要件の有無を検討し、拒絶の根拠は同条第一項第三号でなく、同条第二項に求めるべきである。

上告人の原判決に対する不満の根幹はこのような点にあるのではないが、この点は明らかな法条適用の誤りだと考えるので、ここに指摘しておく(ただし上告人は本件につき第二九条第二項の適用もないと考えていることは、原審原告第三準備書面二〇~二一頁に指摘した通りである)。

第四、上告理由第四点

原判決は、特許に値する発明というものの認識を誤り、拒絶すべきでない発明を拒絶すべきものとした違法がある(抽象的な言い方だが、これは選択発明との関係についての原判決の判断を批判しているのである)。

原判決は終りの方で次のように述べている。

「本願発明は、一見すると、いわゆる選択発明に類似する。サイメチジンという化学物質(上位概念)の発明が開示されているところにおいて、そのサイメチジンが多形であり、そのうちのA形のもの(下位概念)が製品化するに条件がよいとしてその特許を求めるものであるからである。

化学物質の選択発明の場合は、後行発明が先行発明の一般式で示された上位概念の構成のうち明細書に開示されていないような特定の構成のものを選び出し、それが先行発明の予想しえなかったような顕著な作用効果を奏するという場合、後行発明を技術的思想において先行発明とは別個のものと認め、先行発明とは別個の発明と評価するものである。

しかし、本件の場合、引用例記載の発明が予定する普通の実施方法を採用することにより本願発明と同一の形態のサイメチジンが得られるのであり、また、本願明細書によっても、A形のサイメチジンと他の形のものとで薬理作用そのものに顕著な差異があるとも認められないのであるから、選択発明の理論をここに適用して、本願発明と引用例記載の発明とを別個の発明と評価することはできないものである。」(二一丁表五行乃至二二丁表二行)

この箇所に於て原判決が恰も引用例を実施すればそのままA形のシメチジンが出来るかのように述べているのは誤りであって、A形結晶は、甚だ特異とは言えないとしても、引用例が明示していない特定の方法によって得られるのであること、又、本件の問題は引用例に本願発明が「記載」されていたかどうかであることについては既に述べた。

しかし、そのことは措いて、この判示によれば、原判決はA形結晶と他の結晶とで薬理作用に顕著な差がないということを以て、別発明成立の可能性を否定している。しかし、製剤の利便を考えている本願発明について、薬理作用の異同を理由として別発明でないというのは的外れの判断と言う外はない。

製剤は実際の薬品については大きな問題である。講談社のブルーバックス「クスリの新常識」では次のように述べている。「くすりには、二本の柱がある。その一本は、原薬すなわち有効成分である。他の一本が製剤である。この二本の柱が鳥居のように相い寄って、くすりを形成しているのだ。」(七二頁)「製薬メーカーで製剤を設計する部門は、普通、製剤研究所だ。製剤研究所は:::製品に関する社内の中枢部門だ。::どんなによい設計図ができても、工場で実際に大量生産できなければ意味をなさない。安いコストで、能率よく生産できなければ、設計図だおれに終わってしまう。直接商品に結びつくものだけに、製剤設計はこのように非常に大切なのだ」(八四頁)

製剤に関する特許は数多い。そして、それら特許にあっては、先立つ原薬の特許に示された物を有効成分として用いるのであるから、原薬の特許に比べて、薬理作用は、顕著な差がないどころか同一である。それでも特許になるのである。

上告人は本件が選択発明の例だとは思わない(原審の原告第二準備書面の五~六頁で選択発明に言及したのは、権利の範囲として従前のものと重複しても構わないということが、選択発明を認める判決に於て明らかにされているという趣旨に於てである)。

選択発明とは従前の発明と範疇が異らない発明について使われる概念である(前の発明の対象が化合物なら後のものも化合物、前のものが化合物の製法なら後のものも化合物の製法、前のものが殺虫剤なら後のものも殺虫剤)。それ故、後のものにつき特許が成立するためには、前の発明の認識を越える顕著な効果が必要だとされているのである。しかし本願発明の狙いは引用例の発明に比べての薬理作用の向上にあるのではなく、全く異質の、製剤に於ける利便にあるのであり、その基礎を成すものはシメチジンの結晶多形と各結晶の性質の発見という新しい認識である。それによる発明の主張に対し、選択発明の理論に於ける顕著な効果(同種の効果内に於ける程度の向上)を持って来て本願発明の特許性を否定するのは的外れであり、理由不備である。それは恰も、結晶を粉末化して糖衣を被せても薬理作用は変らないではないかと言っているにひとしい。発明の狙いが類型として違い、「技術的思想において先行発明とは別個のもの」であるから(原判決二一丁裏三~四行)、それだけで別発明の筈である。

もし原審が製剤の利便などは発明として特許を与えるに値しないと考えるならばそう言えばよく(そう断言する勇気があるとは思えないが)、又本願発明に於ける利便は具体的に大したものではないと言うならば、証拠を検討した上でそう判断すればよい(上告人は、現在の特許実務に於ては、もっと効果の薄い技術であっても、ただ従来その効果が記述されていないというだけで、幾らでも特許になっていると思うが)。異質の効果を謳った出願に対し、発明者がもともと発明の根拠としていない薬理作用に基いて発明を否定するのは、明らかに誤った判断であると考える。

原審原告第二準備書面六頁で述べたように、従前の文献に開示されていない新しい知見に基き、産業上利用することができる新しい技術をもたらした発明に対しては、当然に特許が与えられて然るべきである。 以上

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